Mishima’s blog

TeenageにRockに取り憑かれて大人になった社会生活者の私的な書き綴り

映画ボヘミアンラプソディは音楽の魔法が生きている

ボヘミアンラプソディ(2018)

当初の予想を大きく上回り多くの人を魅了しているクイーンという英国のロックバンドを描いた映画である。ロッククラシックに名を連ねるバンドを描いた映画がなぜこれほど世代を超えて多くの人たちの心を掴むのか?

それはこの映画にはロックの魔法,音楽の魔法がそこに生まれているからだ。

 

クイーンというバンドにどんなイメージを持っているだろうか?正直になろう。大げさで品がなくライブのライティングが凄いメジャーなエンターテイメントに優れたバンド,それが僕の持っているクイーンというバンドのイメージだ。もちろん悪いイメージではない。正直になっただけだ。ブライトンロックを聴くとカラダがウズウズしてくるし,セイヴミーを聴くと胸が締め付けられる,アンダープレッシャーを聴くとポジティブに世界を信じてみたくなるし,フレンズウィルビーフレンズを聴くと熱くなる気持ちを拳に込めたくなる。そうなんだ,クイーンは僕の大好きなお気に入りのバンドのひとつである。

 

映画はフレディマーキュリーを軸に物語は始まる。4人が集まりバンドを結成,成功への階段をひとつずつ登っていく。アルバムを創りツアーを行いその中で紆余曲折を経て成功を掴む。その成功の中で困難が立ち塞がる。4人は結束してその困難を正面から引き受けてステージに上がる。

そんな物語が語られる。始まりから成功,困難を経て再生する。映画としては何度も何度も語られてきたよくある物語であるとか,熱心なクイーンファンには事実や時系列が違うとかそんな声も聞こえてきたりするわけだが,それらを認めた上でそんなことはどうでもよいと言い切ろう。これは映画である。それもエンターテイメント映画である。そうだ,クイーンのライブが極上のエンターテイメントであったように。

物語は再生に向けて全てが集約されていく。

その再生の舞台がライブエイドのステージである。

 

ライブエイドの始まりからエンドロールまでがこの映画の核心だ。なぜだろう,こんなにも目頭が熱くなってしまうのは。ボヘミアンラプソディから始まるライブエイドのステージからエンドロールのショーマストゴーオンまで。ここに到達するまでの物語を観てきたからだけではないだろう。だからこそこんなにも多くの人たちが映画館に足を運んでいる。音楽そのものの力である。

 

音楽には力がある。音楽がそばにいれば悲しいときにはそっと寄り添い,嬉しいときにはともに喜びを分かち合う,そして心を揺さぶる。この映画が与えてくれる心象はこの感覚なのではないだろうか。映画館の大きなスクリーンと映画館ならではの音響,通常上映に加えて応援上映やスタンディング上映などの多様な上映形態といったいろんな要素が絡み合って,音楽の力を大きく後押しした。物語を泳ぎながら音楽に身を委ねながら紆余曲折を経て再生へと辿り着いたその先にある音楽が鳴る風景に無意識のままに意味の分からぬまま目頭が熱くなる。心が揺さぶられる,音楽そのものの力で。その音楽を奏でるクイーンの音楽そのものの力で。

 

音楽には力がある。心を揺さぶる力だ。その理由ははっきりとはわからないし合理的な説明も僕にはできない。だから僕は音楽が持つこの力を心の扉を叩く魔法だと思っている。

音楽の魔法である。そう,音楽には魔法が宿っている。

Don’t trust over 30 なヒト

Don’t trust over 30

30歳以上は信用できないということである。

もともと anyone という単語が入っていて,Don’t trust anyone over 30 だったが,僕のところにやってきたときには,いつの間にか anyone が無くなっていた。いずれにしろ意味は変わることなく,大人は信用するなということである。

 

なぜ今さらこんな古びた言葉をと思うかもしれないが,ティーンエイジにロックに取り憑かれた僕にとっては当然に自身の価値観を揺さぶるものだったし,そして当然に時間の流れから逃れられることなくその言葉のいう Don’t trust な over 30 なヒトとなってしまったことにある。 

 

もともとは1960年代後半にヒッピー文化のような対抗文化のスローガンのひとつだが,それ以前からロックが内包する価値観にあった。そもそもロックの世界観には大人はいなかった。ロックという音楽はティーンのものであったし,大人の世界へのティーンからの挑戦状のようなものだった。

だから Don’t trust over 30 という価値観をテーマにした音楽が数多く生まれ,中には大人になる前に死んでしまいたいといったことを歌うバンドまでいた。このテーマを歌った数多くの音楽が今も聴き継がれているし,そして数多くのロックの歴史を作ってきた個性的な人たちが20代で(原因はどうあれ)亡くなってしまったことでこの言葉はさらにロック的なものに昇華していったのだろう。その時代特有の空気があったにせよ,既存の社会システムや保守的な価値観に疑問符を掲げたことで,今とは違う別の新しい行き方への希望があったに違いない。

 

そこで over 30 となってしまった僕はどうしようとなった。正直にいうと動揺してしまった。青臭いという言葉そのままである。学業期間を通り抜け社会システムに取り込まれた中での生活である。当たり前すぎること。それでも取り憑かれたロックの価値観に矛盾した気持ちが湧き上がる。青臭い。それに尽きる。

その信用できない大人を中心とした世界は,曖昧なグレーな世界である。それはどうなの?少し違うのではない?正しいことは正しい?悪いことは悪い?周りを見回して自分の足下を確かめる?青臭さは既存の社会システムや保守的な価値観に疑問符を投げつけていたのに。そこで曖昧なグレーな世界を賢く生き抜くために曖昧でいることにした,グレーな色に染まることにした。そう,これだ,これが大人になる,成長するってことだ。

と,頭で理解しよう,社会生活者としてそういう振りをしよう。でも自分自身はこのままでいることにしよう。髪を切ってネクタイ締めてカバンを持って無個性に組織に飲み込まれたように外からは見えたとしても,これまで僕自身を築いてきた自分自身という軸は変わらないでいよう。僕と社会とのバランス感覚を養って積み重ねてみよう,どこまで自分自身でいることができるのかやってみよう。

 

Don’t trust over 30 ってやはり素敵な言葉だ。

そして僕も立派に Don’t trust な over 30 なヒトとして仲間入りをしたようだ。

ただ僕には確かに刻まれている,決してつまらない退屈な大人にはならないということ。